はじめまして。新見と申します。ブレインウッズで主にビジネス文書の英日・日英翻訳を担当しております。今月から毎月1回、会社の業務で英文を書いたり翻訳をなさったりすることが多い方、商業翻訳家を目指しておられる方、また翻訳に興味をお持ちの方などを対象に、日英翻訳にフォーカスし、翻訳に必要なスキルや実際の翻訳で気をつけたい点など、翻訳にまつわる基本的なことを、私自身の経験を踏まえながらお話ししていきたいと思います。第1回目のテーマは「翻訳とは何か」です。
その前に、簡単な自己紹介から。東京外国語大学英米語科を卒業後、国内電機メーカーに就職し、そのうち通算15年を米国ロサンゼルスの現地法人で勤務しました。退職後はフリーランスの翻訳業を始め、今年でちょうど10年になります。プロの翻訳者としてはまだ10年の経験しかありませんが、大学時代、米国駐在時代も入れますと英語に日常的に接している期間は通算で30年になります。
職業として翻訳を始めた10年前から、仕事の合間に感じたことや気づいたこと、また実際の表現(辞書にある訳語ではしっくりこないので、自分で工夫した表現など)をノートに書き留めてきました。今のノートで7冊目になります。今回連載記事を執筆するにあたり、そのノートを改めて読み返してみると、翻訳を始めた頃と今とでは、翻訳に対する自分の考え方が変わってきたのがわかります。
最初の頃は、とにかく日本語原文に忠実にという傾向が強かったのです。もちろん一字一句の直訳ではありませんが、原文からあまり離れない英訳文になっていました。それが2、3年目くらいから、自分の訳調に目立った変化が出始めました。
「翻訳は単なる字句の置き換えではない」ということに気づき、「日本語原文が伝えたい情報を概念としてつかみ、その概念を自然な英語で再構成するのが翻訳である」ということを強く意識するようになりました。「要するにそれは何を言っているのか」という核心となる概念をつかむということです。翻訳をそういうふうにとらえると、英訳文もパラグラフの中で文の構成を変えたり、1つの文を2つに分けたり、原文が冗長になっているところを短く簡潔に表現し直したり、主語を変えたり、原文にない言葉を足したり、その逆に原文にある字句を敢えて英文には反映させないようにしたり、ということが割と当たり前のようにできるようになりました。それは読み手にとってわかり易い英文を綴るということに他なりません。
そう申し上げると、えらく原文から離れた翻訳をするように聞こえるかもしれませんが、決してそういうことではありません。 話をわかり易くするために、翻訳を料理に例えてみましょう。翻訳の原文は、料理で言うと「レシピ」にあたります。材料、火加減、加熱時間、調味料などをレシピ通りにしたからといって、出来上がった料理が美味しいとは限らないように、原文にひたすら忠実な翻訳が読み易くわかり易い文章とは限らないのです。経験を積んだシェフは同じレシピでも、その日入った食材を見て、火加減、料理時間、味付けを微妙に変え、その食材を最高の状態で提供できるよう腕をふるいます。そこが「レシピ通りに作ったまあまあの料理」と「プロが提供する料理」の決定的な違いです。翻訳も同じで、原文は尊重しながらも、先ほど申し上げたような「さじ加減」を訳文に適宜施すのがプロの翻訳者の仕事です。
では、「良い翻訳」とは何かということになりますが、私はいつも「3C」を心がけています。「3C」は「Correctness」「Clarity」「Conciseness」の頭文字をとったもので、それぞれ「正確さ」「明瞭さ」「簡潔さ」ということです。
この3つの条件をすべて満たしたのが「良い翻訳」ということになります。どうやったらその条件に合う訳文が作れるのかは、次回以降で具体的にお話してまいります。ここでは「3C」ということを頭に入れておいてください。
さらに日英翻訳においては、この「3C」に加え「論理の飛躍がない」ということも大切です。「論理の飛躍」とは、「AだからB、BならばC」と言いたいとき、間の「B」を省略して「AだからC」と言ってしまうことです。その極端な例が「風が吹くと桶屋が儲かる」です。そこまで極端ではないにしても、日本語の文章ではごく普通に見られますが、日本人であればそのような文を読んでも、頭の中で省略された「B」を無意識に補うので、意味が通じないということはありません。それに対して英語は論理の飛躍を嫌う言葉ですので、日英翻訳の際には注意が必要です。
例をあげましょう。「春は小中学校の卒業式、入学式のシーズンなので、女性用フォーマルウェアがよく売れる。」という文があります。どうでしょう。特にどうということのない文ですね。意味もおわかりだと思います。ところがよくよく考えてみると、「卒業式、入学式」と「女性用フォーマルウェアの売れ行き」の間には直接の因果関係はありません。これをそのまま英語にしてしまうと、読み手が大いに戸惑うことになります。
因果関係を正しく成立させるためには、「卒業式、入学式 → 母親が子供の晴れ姿を一目見ようと式に出ることが多い → そのために着ていくフォーマルウェアを新調する」としなければなりません。英訳では、日本語では隠れている「母親が子供の晴れ姿を一目見ようと式に出る」を表に出さないと論理が通らなくなるのです。英訳の際にはこの隠れた「論理の飛躍」に十分注意する必要があります。これに配慮するだけでも、日本人が書いた英文にありがちなぎこちなさがだいぶ減り、読んですっと流れる英文が書けるようになります。そういう目で人文・社会科学系の書籍を英語で読むと、論理の展開や因果関係の説明が極めてスムーズにつながっているのがわかります。丁寧すぎると言ってもいいくらいです。裏を返せば、普段からそういう英語に慣れ親しんでいる人たちにとって、論理が飛躍している英文はわかりにくいし、読む気が失せてしまうのです。
なお誤解のないように申し上げますと、これは読み手の頭が良い、悪いということではなく、日本語のように読み手や聞き手の解釈力、想像力に依存することの多いハイコンテクストな言語と、英語のように読み手や聞き手の解釈力、想像力にあまり依存せず、言いたいことを明示的に表現するローコンテクストな言語の違いということです。
最後にもう一つ日英翻訳で気をつけたいのは、一応訳したつもり、何となく訳した気にならないようにするということです。
どういうことかと言いますと、翻訳者は原文を常に横に置きながら翻訳作業を行いますので、原文が伝える情報が頭の中にしっかりと刷り込まれています。ですから、原文の字句を適切と思われる訳語に置き換えていれば、正しく翻訳できていると錯覚してしまうことがあります。つまり自分の書いた英文に日本語原文の意味を無意識のうちに投影し、それで「一応訳したつもり」になってしまうのです。
でもその英文の対象読者は、日本語原文を横に置いているわけではなく、あくまで英文だけが頼りです。ですから、日本語原文から一旦離れて、出来上がった英文を一人の読者になったつもりで、回りくどいところはないか、別の意味に解釈できてしまうところはないか、同じ言葉が繰り返されているところはないか、代名詞が指すものははっきりしているか、論理の飛躍がないかなどを入念に客観的な目でチェックする必要があります。できれば最初の訳文を一晩寝かせて次の日に読み返した方が、より冷静にチェックできます。
それは「校正者」の仕事ではないかと思われるかもしれませんが、いえいえ、それは校正者に渡す前に翻訳者が行うべき大切な作業なのです。この一手間をかけるかどうかで、訳文の質が大きく変わってきます。
ということで、連載第1回目は「翻訳とは何か」ということについてお話ししました。次回は「翻訳のスキルをどう磨くか」というテーマでお話しする予定です。
では、また。
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